湖南線終着駅、チョウセンレンギョウの咲く頃

一人旅が好きだった。見知らぬ町の見知らぬ人と一言二言だけ交わし、適当に決めたモーテルに泊まる。テレビを見ながらビールを飲む。髪の毛が濡れたままでもいいや、明日の朝は起きたい時に起きるのだし、髪の毛がはねても気にしない、直す時間は十分にある。誰にも気を遣う必要もない。一人は気楽だ。

けれども。年を取ったからと簡単に理由づけをしているかもしれないが、今はもう一人旅ができなくなっている(といっても一人で出かけるものの)。

最近はひたすら寂しい。夜ごはんを適当にキンパプ天国で終わらせるのも、かといって無理に二人分をたのみきちんとしたごはんを食べてグルメレポする体力もない。

泊まるところも最近はもっぱらAirbnbを利用している。ホストと話をしたり、他の宿泊客と話すのが楽しいと思えてきた。もう少し若い時にゲストハウスをもっとたくさん利用すればよかったかな。パーリーピーポーな雰囲気はこの先も無理とはいえ、はは。

今回の旅の友は『ショウコの微笑』。原書のピンクと淡いブルーのイメージとまた一味違った黄色である。

チョウセンレンギョウが満開の4月初め、湖南終着駅に着いた。今回の宿泊先は駅から歩いて15分ほどの北橋洞(プッキョドン)。いつもは日本家屋ばかりを見て歩いていたが、儒逹山へと続くゆるゆるとした坂の途中にある一軒家をめざして歩いた。風景にひとめぼれした。木浦に来たのがまるで初めてのように感じる。今までただ見ていなかっただけか。


ゲストハウスのチャイムを鳴らすと、大きなゴールデンレトリバーがちぎれんばかりにしっぽをふって出てきた。名前はマンゴ。人懐こすぎて困るほどだ。靴をくわえて遊んでくれと思い切り甘えてくる。大きな犬が苦手なゲストなら困ってしまうだろう。マンゴの後ろには猫が二匹、これまたすり寄ってきて温かい気持ちになった。

木浦と言えば儒逹山(ユダルサン)だろう。いつもは碁盤の目の町のあちらこちらにある日本家屋や、山の麓の旧木浦日本領事館なぞを眺め情報多めの町を、なんの修行?と思いながらひたすら歩いている。今回はアンテナを別の方に向けた。いろいろなことに気づかされる旅になった。

初めて儒逹山に登った。チョウセンレンギョウ(ケナリ)の花霞の向こうに鮮やかなオレンジと青の屋根が見える。儒逹山はチョウセンレンギョウの山としても有名なのだそうだ。韓国の春が青い空の下にどこまでも広がっている。わたしは今まで木浦の何を見ていたのだろう。

ホストと木浦の旧市街についてコーヒーを飲みながら話したり、マンゴをずっと眺めていたり。


もちろんいろいろな宿泊客が滞在しているので、すべてが心地よいわけでもない。夜に突然がやがやと音が聞こえて眠れなかったり、シャワーの順番で気を遣ったり。使用済みのタオルの置き場所に困ったり。

それでも。

朝誰かが朝ごはんの支度をしている音で目が覚める幸福感。

『誰かに作ってもらうご飯って、そんなにおいしくなくてもおいしいものなのよ』と言いながら用意してくれたテンジャンチゲの味噌のうまみ。あそこの角の店のおばあさんの手作り味噌なのよなんて話を聞きながら、チゲの具であるたまねぎや朝鮮かぼちゃ(エホバク)の食感を楽しむ。

市場で買った生きているあわびやタコをどうやってソウルに送るか、という話を別棟の韓国人客とホストがコーヒーを飲みながら大真面目に話している。氷を入れるいや入れない、KTXにのせる、いやバスターミナルでお願いする、氷が溶けても平気、乾燥昆布を入れればなんて話している。

話はいつのまにか、全羅道のおかずはとにかくおいしい、基本的にソンマッ(手の味わい)があるのね、なんて方向になっている。


木浦に泊まる時はまたあのゲストハウスに行こう。

できればまた黄色に染まる季節に行けたらいいなあ。


0コメント

  • 1000 / 1000