済州島・本屋MUSA
窓の外を見ようと顔を上げた時、通路を挟んですぐ隣に座っている男性の目元に視線が止まった。切れ長の目とまつげの具合、どこかで見たことがある。そうだ、夫の友達のチェさんに似ている。夫がヒョンと呼んで慕い、そしてもう二度と会わないと少し残念な別れかたをした人。お酒をたくさん飲む、少しだけ豊川悦司に似た人。
夫はいつもヒョンの鼻は本当にかっこよくていい形だ、惚れると言っていた。私にとってはチェさんの目が印象的だったのだろう。私もおそらくもう会うことはない人の目元を済州島で思い出しながら、埃とバスの暖房で曇ったガラス窓の向こうを眺めた。
バスはいつの間にか山の中の一本道を走っていて、ところどころに白いものが見えた。
冬の低い日差しがまぶしい。
バスに乗って向かう先は小さな本屋さん。ヨジョさんが切り盛りするお店だ。
「My name is Yozoh 당신을 사랑해요.원하는 거 줄게요」と歌っていた頃はヨジョちゃんだった。今もちゃんづけでもよいかもしれないけれど。
済州市から約1時間。どんよりとした空はいつのまにか冬の青い空、バス停を下りると強い風で木々の葉が大きな音を立てているのが聞こえた。それ以外の音は耳に入ってこない。
本屋の営業時間はちゃんと確認してある、なぜならこの日は12月31日だったから。
建てつけのやや悪いサッシ戸をガラガラと開けると、やかんがしゅんしゅんと音を立てているだけで誰もいない。BGMは湘南ビーチFMだった。少し強めのルームフレグランスの名前は太宰治だそうだ。DJのおしゃべりに(日本の)大晦日気分を感じてなんとなくほっとした。
一通り本を見たあと、一冊だけ本を買うことにして『会計をするときだけノックしてください』という貼り紙がしてあるドアを叩いた。
『どうぞ、入ってください』
と男性の声がした。
ヨジョさんではないのだね。カウンターの向こうには紺色のニットキャップをかぶった若い男性が座っていた。多分、嫌になるくらいヨジョさんは?と聞かれているだろうから黙って本のある部屋に戻った。
本屋さんの名前は「無事」
独立出版の雑誌と女性問題を扱ったものが多かった。
本屋さんのまわりは何もない。ただラッキーなことに、鶏肉入りの温麺やミョルチククス(煮干だしスープの温麺のようなもの)を出すお店があった。
このミョルチククスは私の年越しそばとなった。
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【無事】
《名・ダナ》取り立てて言うほどの変わった事がないこと。
危険・不幸・大過などが起こらない状態。「航海の―を祝う」「試験も―に済んだ」。健康でいること。 「御―で何よりです」
仕事がなく、ひまなこと。 「―に苦しむ」
誰かに、そして自分に言いたい言葉
「今日もご無事で何よりです」
午後2時。なかなか来ないバスにようやく乗った。通路をはさんで隣に座っていたお母さんの膝の上に、5才くらいの男の子が目をつぶってごろんと転がった。冬の日差しはさっきより低くなっていて、5才の子どもの体は白くきらきらと光っていた。私はククス屋でもらったみかんを取り出し皮をむいた。
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